言語文化研究 第18号(1992)

服部典之語り手H. F.の積極的敗北主義 —A Journal of the Plague Year の語りを考える—
宮川清司ワーズワスの「マイクル」と土地のイデオロギー
森 祐司修辞としての「償い」 —詩人エマソンの語り口—
大森文子言葉の意味の諸側面 —メタフォリカルな言語使用をめぐって—
Edward COSTIGANElements of Narrative in Some Plays by Shakespeare
原田裕司文学としての書翰 —キケロー,ルプス,結城ディオゴの三書翰の例—
溝邊敬一抒情詩における大都市 —ゲオルク・ハイムの場合—
中埜芳之G. ケラーとドイツ教養小説 —『緑のハインリヒ』再考—
田中美英子フォンターネの »Unwiederbringlich« —言語批判と社会批判—
吉田正勝18世紀のドイツにおけるテオクリトス
Christoph LEITGEBMusils „Fischer“, Bunraku und „Interkulturelle Germanistik“
Keiji AKAI und Manfred B. SELLNERÜberlegungen zum indirekt-höflichen Soziativ im Japanischen und Deutschen: Eine Einführung
Shinji WATANABEZur Argumentstruktur der deutschen deverbalen Nomina —Im Fall der Ereignisnominalisierung—
金崎春幸『聖アントワーヌの誘惑』の空間構造 (2)
北村 卓谷崎潤一郎とボードレール —谷崎訳「ボードレール散文詩集」をめぐって—
高岡幸一ウェルギリウスの『アエネイス』におけるextradiégétiqueな諸要素 —叙事詩的文体における主観性の問題—
春木仁孝時制・アスペクト・モダリティー —フランス語の半過去の場合—
津久井定雄キリスト教終末論とドストエフスキー —その1. 終末論のロシア—
三木邦弘文要約の数量的性質